Profile


 

 このちょっと変わった名前の男声クヮルテットは、

1981年三鷹市立第二中学校の教員4名によって結成されました。

といっても、そもそもの始まりは職員の歓送迎会の余興からでしたが、

リーダーの松林良晴を中心に、文化祭や3年生のお別れ会、

そして鑑賞教室などに頼まれもしないのに積極的に出演し、好評を博しました。

こうなってはもうやめられないとばかりに、毎年春に、無料のコンサートを行っています。

トップテナー 松林良晴

 

名実ともに42年間、コールたぬきのリーダーをつとめてきた。我々がここまで来られたのは、結局彼の音楽性と人間性によるところ大である。時を経ても音楽に対する熱い想いはいささかも変わらず、夫婦で精力的に演奏活動に取り組んでいる

 

セカンドテナー 伊藤秀雄

北軽井沢のレストラン「パンカーラ」は知る人ぞ知る人気のレストラン。すっかり地元になじみ、伊東、東京に次ぐ「第3の故郷」に。練習には200kmの道中を行き来して参加している。フォルクローレの奏者で、ケーナや民族楽器の名手。毎日店でライブ演奏をしている。

 

 

バリトン 大森孝司

 

42年かけてコールたぬきのイメージキャラに。たぬきはほぼ同年齢集団だが、実はわずかな役回りの違いで高音2人が兄貴分(ツッコミ)、低音2人が弟分(ボケ)になっている。年とともに各々その個性が際立ってきたが、思い起こせばこれが42年続いた理由なのかも。

 

 

バス 下平雅典

たぬき結成の仕掛け人。コールたぬきと協力してくださる方々との結びつきを作るコーディネーター。年や疲れを知らず、マラソン、ボランティア、料理(そば打ちなど)と、活動の幅は広く本格的。歌って走れるお笑い料理人目指して修行中。生涯現役。

 

 コ一ルたぬき讃 

 石 井 直 代

 

この文章は1986年に「山に祈る」で共演していただいた時に

書いていただいたもので、そのまま再び載せさせていただきました。 

 

 

 4人の先生方のめぐり逢い、それは5年前の春でした。

 下平先生:お菓子づくりも出来れば編み物も上手。製本技術は本当に見事。クイズとシャレの帝王。部活ではバスケットだけでなく数学も英語も教えてしまう。理科の先生、と改めてうかがわないと予想がつかないETなのです。繊細な心を秘めながらも、いつも爆笑の種をふりまいてくれるやさしいハッスル先生。

 伊藤先生:テニスの腕はプロ並み。ギターをはじめ多彩な趣味を持つ理科の先生。「能ある鷹は爪をかくす」ごとく一歩退いておだやかに、そしてちょっと面白くなさそうに控えていながら、親しくお話始めるとユーモアあふれることばの中にキラキラと物知り博士ぶり発揮です。皆に尊敬されている努力家の先生。  

 次の御紹介は大森先生。もの静かに話されるその声は深く深く私たちの心に汲み込んできます。いつも自分をおさえ人のことを先に考える暖かな想いがそのまま声になって伝わってくるのです。ソ連の地で大らかに歌い挙げていらしたと聞き、そのすばらしさはどれ程だったかと想像するだけでうっとりします。地理・歴史そして社会の正義を教え続けていらっしゃる強い信念の方。陸上がお得意。走りますよ。

 松林先生:給食のない日はいつも大きな愛妻弁当。歌声はビンビンと広い建物の隅々まで響き渡り、本場の歌劇を聴く想い。正真正銘の実力の持ち主。素敵なテノールのはずんだ笑い声と、笑った時のやさしい目が印象的。見かけによらず(ごめんなさい)バレーの名アタッカーとして活躍される面もあります。おまけですが、“コールたぬき”の名は先生の風貌から付けられたという説もあるのです。

 4人の先生方に共通することは常にたくましい食欲。そして夢中で話し合うのはいつも生徒達のこと。学校が、生徒達が好きで好きでならないのです。こんな先生方の心が更に大きく一つにまとまったのはなんといっても“歌うこと”だったのです。美しい歌声“コ一ルたぬき” 

はこうして誕生しました。文化祭をはじめ多くの場で私たちに楽しさと感動を与えてくれました。又、依頼されて「ファミリーコンサート」に出演なさったこともあります。

 2年前、この4人のたぬきさん達に新たに加わったのがお嬢さんたぬきの造田先生でした。小柄な先生の全身から湧き出してくるように思われるピアノの音は、やさしくまた大きな迫力をもって先生方の歌声をいっそう引きたててくれます。

 先生!たぬきの先生達!二中と七中を巣立っていった数多くの生徒達の心にやさしく、美しく、深くその姿を刻まれてきたたぬきの先生達!いつ迄も若々しく、暖かで豊かな先生達の教えを素敵な歌声と共に伝えていってくださること、願ってやみません。